あるコーヒーチェーンで本を読んでいたら、突然わめき声が聞こえてきた。
横に長い店内の奥のほうに座っていた僕は、その声の主が誰だかわからず、きっと入り口のあたりで、誰かが痴話げんかでもしているのだろうと思っていた。しかし、それにしては女性のきんきんとした声が響くばかりだ。
しばらくしても、女性の声が止まない。僕はちょっと気になって、席から身を乗り出して入り口のほうをのぞいたが、誰かが口論している様子はなく、レジでも店員が平然と下を向いて何か作業をしている。
何かおかしいと思いつつ、漫然と店内を眺めていると、ちょうど自分の直線上に声の主を発見した。険しい顔をして、わめき続けるおばさん。だが、彼女の前には誰もいなかった。
ほっそりとした上品な佇まいのおばさんは、虚空に向かって耳障りな声で何かを訴えている。しかし、何を言っているのかはまるでわからない。
大学生くらいの男の店員がおばさんの近くにいって、声を落とすよう注意するが、おばさんはかえってエスカレートしていく。
「あやまりなさいあやまりなさあやまりなさいよーっ」
句点も読点もなくまくしたてる言葉から、そんな一節が聞こえてくる。平謝りして立ち去る店員。それからしばらくして、その店が入っている商業ビルの警備員が店内に入ってきた。
おばさんは、その警備員に対しても「おゆきなさい」だとか何だとか言って、立ち去らせようとする。
警備員はおばさんを無理やり退出させようとはせず、帽子をとって腰を落とし、目線を低くして、おばさんの言葉をひとつひとつ受け止めるように、うんうんとうなずいている。
そのやり取りが10分は続いただろうか。警備員が頭を下げ、入り口を手で示すと、おばさんは渋々といった感じで立ち上がり、店を出ていった。
警備員は店の外に出て、おばさんの後ろ姿に頭を下げて見送ると、すぐに店内に戻ってきておばさんの隣にすわっていた女性(よくずっと座っていたものだ)にも頭を下げた。
頭に白いものが混じる初老の警備員。
いやあ、なんか泣けてくるよ。
働くってこういうことなのかな。
……
離れた席から見ていた僕は、冷めたコーヒーを前にしみじみと感じ入った。
おばさんの事情も、事のきっかけもわからずじまいだったけれど。