2013年12月29日日曜日

ある喫茶店で

カレーとハヤシライスのセットが同じ値段で載っていたら、ハヤシライスを頼むとなんだか損している気がして、ついカレーを頼んでしまうのは、貧乏性があまりにすぎるだろうか。でも、注文してやってくるのは肉も野菜もほとんど見当たらない「スープカレー」なのだ。

スパゲッティのセットはいろんな種類のものが同じ値段から選択できるようになっているのに、「なつかしのナポリタン」だけ100円高いのは、なぜだろうか。「なつかし」分の付加価値? それとも、ピーマンやソーセージやケチャップの分だけほかのものより金がかかっているとでも言うのだろうか。

昭和は遠くなりにけり、とは言っても、一皮むけば昭和とたいして変わらない人や街の姿が見え隠れする。紙は100年持つが、ハードディスクは5年持てばいいほうだ、という。今の私たちの姿は、100年後の人たちにはどのように映っているだろう。

…と、まとめに入りかけたが、僕はある喫茶店に入ってちょっと不満に思ったことを書いているだけなのだった。ちなみにその喫茶店、カレーのセットにもスパゲッティのセットにも、さらには生姜焼きのセットにさえも、クロワッサンをつけていた。普通はサラダかスープがつくところを、である。

あの喫茶店、単にちょっと変なのかもしれない。

2013年12月21日土曜日

海岸行き

郊外型スーパーの地下一階にある、フロアの真ん中に椅子と机を配して、周りを飲食店がかこむという、フードコートなどと呼ばれることもある、そんな空間で。フロアは壁がぶち抜かれ、遮るものは点在する柱のみという、そんな空間で。

音が四方、八方から遠近感を持って響いてくる。ラーメンをすする音、中高生の話す声、食事の準備ができたことを知らせるアラーム、食器の重なりぶつかり立てる音、子供の泣き叫ぶ声。遠くの話し声が、エアコンの音が、自然とリバーブのかかった、残響の塊となって、四方、八方から迫ってくる。

海にいると想像してほしい。冬の海、見渡す限り水平線で、人もまばらな。波のざぶーん、が断続的に続くのではなく、遠くのほうから怒号のように波の音が響き続ける、そんな海。

海にいると想像する。郊外型スーパーの、地下一階の真ん中で。

2013年12月19日木曜日

一日のはじまりがはじまる。


金井美恵子『愛の生活』より。
金井美恵子という作家はその初期、特に天沢退二郎の影響が強かったころ、エピグラフを多用していた。エピグラフは物語の呼び水、非人称の声の道しるべ…

5時ごろ目が覚めても、一日がはじまらないよう、布団のなかでずっと寝たふりをしていることがある。
布団のなかで目を閉じて、寝ているときに頭のなかで行われているような、昨日はどこに行っただとか、ラジオであの人はこう言っていたけれど実際はどうなんだろうとか、とりとめのない考えが整理のつかないまま行ったり来たりする。夢をみているふりをしているのだろうか。私と身体とで。

一日がはじまることへの抵抗。昨日と今日のあわいにいつまでもいられたら、とときどき思う。それでも今日ははじまってしまう。おわりのおわりとともに?