2014年8月24日日曜日

この道はさっき来たけど

道が次の道を作る。

お盆開けから3日ほど休みをとって、北陸あたりをぶらぶらと旅した。知らない土地を歩いていると、この先はどのような道になっているのだろうと興味が尽きず、気がついたら歩きすぎてへとへとになっているなんてことがよくある。といっても、今はスマホがこれだけ普及していて、その1台1台にGoogle Mapがインストールされているのだから(おそらく)、歩行者は画面上で自分の現在位置を把握し、その道の先に何があるかを知ることができるわけで、知らない道をさまようなんてことはもう珍しいことになっているのかもしれない。

それでも、道に迷ってしまう。単に僕がバカなのか、Google Mapをあまり見ないからか、というか見ていても迷ってしまう。そして、手には駅の待合所でゲットした観光地図。観光地図というヤツは、肝心なこと(目的地までに何ブロックあるかとか、町名とか)が書かれておらず、距離感も結構好きなように伸縮されているので、その地図が目玉とするところ以外に行こうとすると、あまり役に立たない。それでも観光地図を手に歩き出す。そして迷う。

あの曲がり角を曲がればいいお店が建っているかもしれない、とか、このちょっと上り勾配の道を進んで行けば素敵な光景が目の前に広がるかもしれない、とか、ぼんやりとではあるがそんなことを考えている(に違いない)。そして、この道はどうやら間違いだったようだと気がついても、後戻りするのが惜しくなり、よし次のところを曲がって新しい道に出ようと、ついしてしまう。

こんな風に改めて文章にしてみると、まるで夢遊病者のようだ。同行者がいたら、きっといらいらして、途中で置いていかれるにちがいない。

けれど、歩いていくことで知らない道がどんどん展開していく感じ、好きなんです。

2014年8月4日月曜日

あの夏の日

自転車がびしょ濡れになってしまった。

学生であればもう夏休みなのだな、と近ごろ電車に乗っていて思う。都心の商業施設はいろんな国/郷里から来た人々でにぎわっている。片手にボストンバッグ、その反対の手には土産物を入れた紙袋。平均3袋ほど。爺さん婆さんは方言をみじんも隠そうとしない。いまや方言は礼賛される一方だ。電車のなかに大荷物を抱えた家族連れや、老人の団体が乗り込んできて、地元の電車やバスでするように(おそらく)、大声で自分たちの言葉を話す。さすがに、じぇじぇとは聞いたことがないけれど。

……
風が強くなったかと思うと、雨粒が一斉に地面を叩きつける。日本はもはや亜熱帯ではなく熱帯になったのではないかと言われて久しいが、たしかに近ごろ降る雨はみんなそんな感じだ。夕方だとか、関係ない。降れば大体、スコール。雨が地表にある様々なものを叩いて大きな音を出し、雷鳴が合いの手を入れてる感じ。駅の改札口や、スーパーの軒先や、図書館の入り口が、それが通りすぎるのを待つ人であふれるのも、もうおなじみの風景だ。

……
遠く花火の音が聞こえてくる。距離をはかるように耳を澄ませる。きっと、ここからは見えないだろう。ベランダに出ることなく、そう決めつける。花火は見るものだと思われているが、実は聴くものなんじゃないか。テレビの花火中継はなにか無粋なものを感じるけれど、ラジオで花火中継をしていたら案外、聴いてしまうかもしれない。まあ、これは一日机にかじりつき、休日を仕事でつぶした人間の負け惜しみでしかないけれど。空腹を感じて、立ち上がる。食料を買いに行こうと、財布を手に玄関の戸を開ける。

……
これは、いつかの日記。日をまたいで書かれるものも日記と呼んでいいのだろうか。あの日見た光景と、あの日あった出来事を未分化のまま書き連ねても。結局、あの夏の日というあいまいな呼び方をするしかない、一日の記憶が残ることになるのだとしたら。