2014年2月2日日曜日

かつて、歩くことについて

かつて、歩くことについて考えていた。
じっくり考えるとか、科学的に考えるというわけではない。

歩くことと記憶。
歩くことが習慣になるにつれ、自動化する足の動きが気になっていた。
それで、やれ身体論だ、アフォーダンスだといったような本を読み、気に入った部分を見つけては悦に入っていたのだが、それっきりになっていたのだった。

道は足裏によって記憶されるのではないか。
アスファルトを踏みしめるスニーカー。こつこつと規則正しく音を立てる革靴。
何かを踏みつけたときの違和感と同時に起こるある種の罪悪感(ねこふんじゃった)。
しかし、私たちは歩いているとき、必ず何かを踏みつけているものなのだ。

一度は地図を見ながら歩き、ついで景色を確認しながら歩いた道も、気がつけば何の意識もせずに歩いてしまっている。

歩くことの身体化?
意識の外で自動的に運ばれていくという、歩くことのありよう。
考えるほどに不思議な気持ちになった。

通勤路や通学路。あるいは、病院や映画館への通い路。
そういえば中学や高校の頃は、自転車に乗って通っていたか……

でも、それならばタイヤが、それを操作する手や足の拡張として
道を記憶していた、と考えるのは無理筋だろうか。

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