人の出てこない小説というのがある。
それを何と呼んだか、かつて本で目にした気がするけれど、覚えていない。
誰かが誰かを追い求める。誰かと誰かが出会う。そして別れる。
推理ものにボーイ・ミーツ・ガールに、それから…
人は人の出てこない小説を求めるだろうか。
人の出てこない小説。たとえばカメラアイで、廃屋を定点観測。1日が1秒になるように早送りし、ゆっくりと廃屋が崩れゆくさまを描写する。そんな小説があるだろうか。
人の出てこない小説。たとえば宇宙の知られざる姿を描く。ビッグバン以前の世界、宇宙の外に続く空間、逆回転する銀河系。それは小説だろうか。
人の出てこない小説。たとえば動物だけで繰り広げられる物語。宮沢賢治の童話なんかにはわりとあるんじゃないか。けれど、擬人化された動物は人と何が違うだろう。たしか、植物しか出てこない話もあったような気がするけれど…
そもそも、語り手は人にカウントしなくてよいのだろうか。
語り手は書き手と同一か。否。
では、誰なんだろう。この言葉を紡ぎだす存在は。
人の出てこない小説をつきつめると、語り手のいない小説になる気がする。
グーグルのような検索エンジンがランダムにひろいあげてきた文章の束。
あるいは、文章を書いたカードを何通りも用意し、シャッフルして選び、物語を作りあげる。
では、そこに人はいないか、と問われれば、やはりそこには人がいるだろう。
なぜなら、そこに人を読み取ってしまうだろうから。
結局、人は読み手のなかにいるのだろう。
物語が読み手のなかで像を結ぶのと同じように、人の姿も読み手のなかに現れる。
と、もっともらしく結んでみたが…
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